入学式

入学式全景

2018.04.10

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学校長式辞

入学式式辞

 寒い冬でしたが3月末の好天に促され、桜の季節はその名残は残すものの、早くも駆け抜けていきました。今や黄緑色の葉がまぶしく光り、生命の輝きを伝える今日この頃です。この良き日に、三木学園白陵中学校に入学された184名の皆さん、白陵高等学校に入学された195名の皆さん、ご入学誠におめでとうございます。ご列席の野添育友会長様をはじめとするご来賓の方々、および教職員とともに、皆さんの入学を心よりお祝い申し上げます。また、保護者の皆さまには、本日を迎えるまでのご苦労に対して、敬意を表するとともに、お子様のご入学を心よりお慶び申し上げます。ここで、学園を代表して、お祝いの言葉を贈りたいと思います。

 皆さんは白陵中学校・白陵高等学校のそれぞれ56期生となります。先ほど学年主任から名前を呼ばれての、それぞれの返事の声に皆さんのいろいろな思いを感じとることができました。今、新しく白陵での生活が始まったのです。

 たとえばそれを少し実況中継風にしてみるとこうなるのかもしれません。私HはF君、G君の次に返事をしなければなりません。その後がIさんです。F君は大変大きな声で返事をしました。すごいです。それに気圧されてか、G君は少し小さな声になりました。しかし声は透き通るようなすがすがしい声でなかなかのものです。さあいよいよ私だと思った瞬間、緊張が頂点に達し、タイミングよく声が出てきません。少し間を置いたみっともないものになってしまいました。しかしその後のIさんは、私の躊躇を取り払うような決然とした声で、次につないでくれました。やれやれ・・・。私Hは入学前の登校日、学校から提示された5つの課題図書の中から、森 毅の『まちがったっていいじゃないか』を読んで、「よし、失敗してもいいじゃないかとここに臨んだのに、最初からつまずいてくよくよする私っていったい何?」と思いました。

 このように、いろいろと思い悩み、そのことによっても確かに存在すると自覚する私自身ですが、本当の私Hはどこにあるのでしょうか。それは隣のG君にもIさんにも、探しだすことはできないはずです。では私は本当の私を探し出すことができるでしょうか。それが脳の中にあるとして、そこを探索し、探される私を私自身が探すことができるはずはありません。これが私という存在の「不思議」です。そしてF君もG君、Iさんもそういった同じような不思議な存在としての「私」を持っているはずです。こう考えると、よく「自分の頭で考えなさい」とか「主体的に取り組みなさい」といわれることがありますが、そのようなことが本当にできるものなのか分からなくなってきます。しかし、だからこそ人間の奥深さと、その尊さがあるのでしょう。この、それぞれに不思議な存在としての自己があるという気づきが、互いにすぐに相手を決めつけるものではなく、自他ともに尊重しあうべき存在であるという理解を可能にするのだと思います。

 さて、今年は明治維新から150年目になります。戦争も経験しましたが、その後急速に経済成長をしました。しかしそれから、成長は次第に失速し、いま産業分野で大きく立ち遅れているのはクラウドの世界だといわれています。リードするのがアメリカと中国で、アメリカではシリコンバレーが中心となっています。このような中で日本はうかうかとはしていられないということで、教育の現場で必要なのは、課題解決よりむしろその発見、ディベートよりダイアログ(対話)、知識より学び方であるという考え方が出てくるようにもなってきました。このように価値観が急速に変わっていく世の中にあって、白陵はどのように対応するべきなのかというのが私たちに突き付けられている大きな課題です。私たちの考え方はこうです。教育においては、世の中の変化とともに変わるべきところと、いくら世の中が変わっても変えてはいけない部分とがあります。確かに学び方も重要ですが、同時に知識も大切です。これは社会の今の価値観とは少しずれがあるかもしれませんが、このようなずれがあることこそ、社会の健全性が保たれているということなのだと考えます。

 このようなわけで、これからの白陵中学、白陵高校の生活において皆さんに要求するものは相当レベルの高いものになります。その中で特に求めたいのは、「たくましさ、タフさ」です。精神的にも、肉体的にも粘り強い力を養ってください。課題図書の中で、吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』を読んだ人で、経験を大事にしていこうという文脈に対して、「三角形で内角の和が180度でないものって、あるかもしれないと考えたことを思い出した」と感想文に書いていた人がいました。その後、自分で考えて、それはないことを納得できたということですが、その経験は忘れないようにしたいと締めくくられていました。

 なるほどそうですね。本当にものが分かるにはこのような経験が必要です。たとえば高校入学生にはおなじみの三平方の定理というのがあります。ピタゴラスの定理とも言い、直角三角形においては斜辺の2乗が他の2辺の2乗の和に等しいというもので、中学入学生も知っていたり、気付いたりしている人がいるかもしれません。その証明を単にたどったり、それを使った練習問題をいくら解いたりしても、なかなか本当に分かった気にはなりません。そういった具体的なものをどんどん削り、抽象化していって、結局ピタゴラスの定理って何?という問いにたどり着いてほしいものです。その答えは人によって違うでしょう。ある人は突き詰めた末に、「内角の和が180度であることも、ピタゴラスの定理も結局、それが成り立つようなものとして、逆に平面というものがギリギリ存在しているのか!」という発見に感激し、納得するのかもしれません。このように「納得」できるまで考え抜くにはタフさが必要です。そのようにして初めて、知識が自分の血となり肉となります。例えば、ここはピタゴラスの定理を使うと解けるはずだというようなこともわかってきます。平面という数学的存在をまざまざと実感できることにもなるのです。人との関係も全く同様です。それぞれの自己とは実に不思議なもので、人間同士はそう簡単に理解しあえる存在ではありません。むしろそれは不可能と言ってもいいのかもしれません。しかし、それを承知であれこれと粘り強く付き合うとき、ものが一つ進んで行ったり、なにかが少し変わったりするのでしょう。こう考えると、勉強は授業中の教室だけではないことが分かります。休み時間も含め、生活のすべてがかかわってくるのです。このような空間にどっぷりつかって、人格というものが少しずつ形成されていくのです。

 自分で自分を鍛えるために白陵に入学したのだと自覚してください。そしてそのような成長の中に、本当の楽しみや幸せというものが生まれてきます。さきほどのHさん、未来の卒業式の日には、ちゃんと返事ができるようになっているでしょうか。それは分かりません。しかし、Hさんですから、Hakuryo生らしく望みは高く(High)、さらに深く学んでいこうと思っているでしょう。そしてF君、G君、Iさんとはいろいろなかかわりを重ねた末に、苦労の中でも笑いあえるすばらしい仲間になっているのではないかと思います。

 最後に改めて、白陵中学56期になります中学1年生、白陵高校56期になります高校1年生が、大きくたくましく成長していきますことを祈念し、お祝いと激励の式辞といたします。

 本日は誠におめでとうございます。

平成29年4月10日

     学校法人三木学園白陵中学校・白陵高等学校  校長  宮﨑 陽太郎

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入学式の一日

第56回入学式の日です。

2018.04.10














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入寮式

寮の食堂で入寮式が行われました。

2018.04.10






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