卒業式

学校長式辞

 三木学園白陵中学校の中学52期生は、本日ここに卒業式を迎えました。ご出席いただいております多くの保護者の方々、 そして教職員ともども、生徒の3年間の成長を喜び、併せて今、白陵での道程半ばに至っている意味について確認したいと思います。

 まずは、197名の皆さん、卒業おめでとう。今日の卒業式は、ほとんどの人にとってそのまま白陵高校の入学式につながり、 そのために、卒業を特に「めでたい」と思わない人もいるかも知れません。 しかし、白陵での3年間はそれなりに重たく、陰影に富んだ期間です。 現在、平成26年に入学した生徒がすべて在籍しているわけではなく、また、全員が白陵高校に行くわけでもなく、 なにより皆さんの心身の状況や各教科の学力は、それぞれ大きな変化を見せています。 その区切りの時にあたって、一度立ち止まり、自分自身の姿とあたりを見回すことをしようというわけです。 それは同時に、ご両親・ご家族を始め、多くの方々のお世話になってここまで成長したことに思いを致すことでもあります。

 52期生は、入学者199名でスタートしました。中学5クラス体制の3年目です。 この大人数は先生方にとって大変だったようで、最初の年から、皆さんは職員室で大きな声で怒られることが相次ぎました。 学年主任が本校卒業生、若くて元気のいい担任団というのも関係あったかも知れませんが、職員室中に響きわたる声で怒られ、 しかもそれが終わるまでには相当な時間がかかりました。それも大きなことをして叱責されるゴンタが多いわけではなく、 小さな違反をちょこちょこやって叱られ、その時の受け答えが悪くてまた怒られる始末で、時には、 あそこまで怒らなくてもという声が聞こえるほどでした。

 しかし、そんな皆さんが変化したのは東北・函館地方への修学旅行の時からです。 あとで担任団から、「とても聞き分けがよく、時間に遅れることもなく、ガイドの話はきちんと聞き、 指示の変更を聞き漏らす生徒はいなかった」と報告を受けて、私は正直、びっくりしました。 実は、この時の修学旅行は、往きにJR西明石駅で信号機の事故があり、時間どおり集合場所に集まれない生徒が出るという、 一種危うい状況でスタートしました。帰りも羽田空港で大韓航空機のトラブルがあり、二便に別れての帰宅でした。
 しかし、私の理解では、それが皆さんの危機意識をよい方向に刺激し、言うならば、 皆さんが一段高いところに成長するきっかけとなったのです。それは、ちょうど手頃な危機状況でした。
 その後、皆さんが職員室で怒られることは本当に少なくなりました。中1の時、 「鬼と悪魔」のような担任のクラスには入りたくないと言っていた生徒が、よく職員室に来るようになり (もちろん、怒られにではなく、先生に質問や話をするためです)、皆さんは、やっと一人前の白陸生になって、 今日の卒業式を迎えたということです。

 52期生は、臨海学習と野外活動以外にも、さまざまな校外学習を体験しました。 甲子園・キッザニアでの職業体験、広島の原爆資料館の見学、京都大学の見学会など、いずれもユニークな試みで、 皆さんの成長を後押ししてくれた・くれると思っています。 今回学年の先生方に話を聞くと、教室や特別区域の清掃は、中学1年から大変真面目にしていたということですから、 この清掃体験からも学んで、周りが見えてき、他の事柄も清掃並みにできるようになったということでしょうか。

 一般に、人は何によって成長するかと聞かれて、これこそが絶対の条件というようなものを、私は挙げることができません。 しかし、皆さんの白陵での姿を見ると、恵まれた環境よりは、むしろ試練や困難、 思ってもいない緊張する場面に出会うことではないのかという気がしてきます。 そして、本校の教育方針である、苦しい勉強を課して努力させることで学力と精神の両方を鍛えたい、 としたことにつながるものがあるように思われます。 「艱難、汝を玉にする」という言葉は、そのことを言ったものでしょう。 困難が立派な人間をつくる、というのは、まず、困難に耐える力が求められるからです。

 作家で横綱審議会委員の一人である内館牧子さんがあるエッセイに書いていました。 ある時、小学校1年生ほどの子どもが、地下鉄に乗るやいなや、ドア口ですべって転びました。 内館さんを始め、何人かの大人が助け起こそうとすると、その子は「男の子だから、自分で立てる」と言い、 何事もなかったかのように、胸をはって手すりにつかまり、自分の降りる駅まで立ち続けたそうです。
 その時、内館さんは別のドキュメンタリー番組を思い出しました。不治の病で入退院を繰り返していた10歳ぐらいの男の子が、 見舞いにくる母親や妹をいつも笑顔で迎えていました。やがて死期が近づいて、 6歳ほどの妹もそれとなく優しい兄がいなくなるらしいと分かり、病室の兄の前で大粒の涙をこぼし、 声をあげて泣きました。10歳の兄は、妹の髪を撫でながら、言い聞かせたのです。 「泣いちゃダメ。女の子はお母さんになるんだから、泣いちゃダメ」と。 ここに見られるのは、単なる負けず嫌いとかいい格好とかではなく、小さな子どもなりの「誇り」とでも言うべき気概でしょう。
 もちろん、人間として自然なあり様こそが大事という言い方や育て方も正しいのですが、私は、 皆さんはこういう誇りとか意地を持ちつづけて、苦しい時を耐えて、人のために尽くせる人間になってほしいと願っています。

 さて、もうすぐ高校生の皆さんは、自分を改めて振り返ってどうでしょうか。 「私は皆ほどエラクないから」と時に思う一方で、「白陵でやろう、と思って入学した」 「皆と切磋琢磨してがんばりたい」という気持ちも当然あると思います。自分を他人と比較するだけでは駄目です。 まず、今の自分の姿、状況を認識し、そこから目をそらさず、同時に周りも見て、 そして先生方の言うことを素直に聞いて、自分のとるべき行動を考え、それを継続してください。
 そうすると、周りが一層よく見えるようになります。自分の長所、友だちのよさ、相手の考えていること等が見えてくるのです。 そうしたら、皆さんは、この播磨の、兵庫県の姿ももっと大きく、よく見えてきます。

 そういえば、皆さんは、中1の時は、白陵の基となった旧制姫路高等学校について学び、その寮歌を歌い、 中3では多彩な地域論文をまとめる学習をしました。大内教頭が回を重ねて練り上げてきた、本校ならではの学習です。 これら身近なもの、友だちや地域のことなどについて理解を深めていくことが、他の教科学習とともに、 皆さんの人間を作り、皆さんの強さをつくってきたのだと、私は考えています。

 中学卒業というのは、次にどの進路を選ぶかということではなく、それ以上に、 自分の今の生活を客観的に見直すことに最大の意味があるのです。 さらに言えば、生活を見直すとは、大きく自分の3年後の姿を思い描き、同時に今日帰宅してからすべきことを確認する、 いわば二つのことを同時に意識していくことです。今日の卒業式がそういう意味で、 真に「新しい出発の日」となることをお祈りし、式辞といたします。

 平成29年3月18日
              学校法人三木学園白陵中学校 校長    斎藤興哉

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卒業式

第52回中学校卒業式です。

2017.03.18




卒業証書授与。












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